「男は私を見つけると、少しからだを起こし、ポケットに手を突っこんだ。もちろん私は、上着のなかで、レエモンのピストルを握りしめた。」 ――音がして顔をあげる。さっきよりもすこしだけ前の車と距離が空いていた。男は自分の運転する車を動かして、その隙間を、本棚のほこりを払うような神経質さで埋める。後ろの車もそうしているのを、バックミラーのなかにみとめる。それでまた停車する。膝にひらけたまま一度置いた本をまた手に持ってつづきを読もうとするのだが、眼だけが無体にはたらいて何も読めずにいる。 なぜ読めないかといえばそれは書かれている言葉と自分の眼とのうちに一体感がなく、それぞれが別個に、ばらばらに動いているからだ。眼と頭もそう、頭と手もそう、手とこのハンドルもそう。一体感がない。ひとつひとつ点検していき男はそのいちばん列のうしろにある原因のようなのをみつける。車、この車がいつまでたっても速度を手に入れられないからだ。 車が走っているときの、車と自分は一体のはずだ。また前の車とわずかに距離が空いて、それを埋めるために自分の車をすこし動かす、このときのこれだ、車を動かす、という感じ。ここに自分と車との乖離がある。それで何もかもが別個なのだった。別個だから、本が読めない。結びつかない。 カミュの『異邦人』それ自体は何度も読んでいる。いま読もうとした部分もすでに繰り返し読んでいる。ムルソーが昼間の砂浜でアラビア人を撃ち殺すこの場面を自分は、自分でもちょっとびっくりするくらい好んでいる、と男は思っている。こんな風な場所へ行きたいと思う、それはその昼間の砂浜へではなくて、あくまでこの『異邦人』のなかにおける、ムルソーが昼間の砂浜でアラビア人を撃ち殺すこの場面、その場面そのものが持つ何かへ行きたいと思うことだ。しかしその場面さえ読ませないいまの、現実のこの場面はそれにしても何。渋滞はずっと先までつづいている。ずっと先までつづいていることが渋滞だった。渋滞に端は存在してしない。 こんなシーンはさっさと終わるべきなのに、つづいている。かなり退屈だった。第一部が終わって第二部の、それこそ空いた道路をごく自由に行くように死刑に導かれていくムルソーを、男はみている。何かつかの間だけそこへ集中してみつけた。気がつくとまた前に隙間が空いている。 男はそれを埋める。