濡れた鳩 すずめが公園の水たまりを私のまえですすっていた、すすっているのかすするのだろうかくちばしで 鳥は、くちばしとは、くちばしをもったことがないからくちばしがわからない、私も公園で濡れている さむいかつめたいかのどちらかでいえば つめたくない さむい いやさむくなくてたんにさむさがある、とおもう おもえばさむくない ここにさむさがある そう似たようなことをまえにもどこかで言いましたか。思ったことはありますが、言いましたか。桜も濡れている。 しとやかに雨は降った。この雨が濡らすものはないだろう、そうした干渉をしない するはずがないというたたずまいの雨をしとやかと受けとめてたちまち重たくなる服や心がまえの 精度 ままならぬことは精度なるものをたびたび見失うことでした。私は、寄る辺なく流れていった花びらの、だれも見届けなかったものもふくめたうちから幾枚かを手に拾うように話す。話をしましょう。私はいま屋根のある、屋根はあるけれど壁はない、角を柱でささえるだけの建物にいます したは石です かわいた石です私が足をつけて歩いたはじめの数歩は濡れました、煙草のすい殻 ではなく濡れてすえなくなった煙草がひとつ くの字に曲がって それは指で曲げられた 三本の指、中指の背を支点にしてひとさし指とその反対側の、反対側の指の名前が出てこないけれど左手を背からみれば左の2番目、腹からみれば4番目、右手なら背からみて右の2番目、腹からみて4番目にある、薬か 薬指。それとひとさし指で押し曲げて、けれどそれはわずかな力だっただろう ほとんど力などなかっただろう、濡れたたばこは曲げたあと捨てられ、またすこし濡れその周囲の敷石もそのときは濡れていただろう いまはかわいている、たばこはまだかわいていない こんな雨ではかわきそうもない、まだ濡れている。まだ濡れているもの、髪 靴はかわいてきている しかしなかの靴下はかなりの水をふくんでいた 肌は場所による かわきやすさがことなった しかしかわいたところで雨がやまないのでは と 言ったのは過去だ 私の、私が子供だったころ本屋の軒下で雨宿りをしていたひとが 漫画を買いにいった私がみた、傘をもたずにいるひとが雨をみて立っていた。雨をみるとき雨のなにをみているのだろう。そのひとだけでなく、私も。私は雨をみるとき、その水の落ちる速さをみている。 「まさか降るとはね」 と言った。私がそのひとをみたのは本屋から帰るときだったけれど本屋に行くときから雨は降っていた 降っていたから傘をもってきた だからそのひとはそれよりもまえからここにいるひとだった。それはすごくながくいたことになる。それは私がながく本屋にいたからわかることだった。私をみて、「きょうは雨だったんだな」と言った。私がそのひとをみていた だからそう言ったのだとおもう。見つめていた。私は見つめるくせがあった。見つめるとそうして話しかけてくるひとがおおかった。それでくせづいたのかもしれない。そのひとは本屋の袋を片方の手にもっていて、もう片方の手に新聞をもっていた。 「こんな雨の日でも馬は走る」 競馬新聞だった。それが何だというのはそのときはわからなかったけれど、馬が走る場所のことはなんとなく知っていた。馬が走るのを大勢でみる場所があること そこへ行くのだったそのひとも そのひとは そのひとの目はなんだかねむたそうにみえた。ねむいのかもしれないと思った。けれどちがう。憐れんでいたのだ馬を かわいそうに と その雨のさきにいる馬 そのさきのさきまでにいる数々の馬 馬やひと 雨に濡れるぜんぶ 自分自身を その目をねむたそうだと思った私は自分の買った漫画の、あらすじを話した。きっと目が覚めると思ったからだ おもしろいからだ でもうまく話せなかった。あらすじを言うのは苦手だ、苦手だということにそのとき気がついた おもしろい話のはずなのに私が話すとそうはきこえなかった 話しながら段々かなしくなってきて、いつの間にか地面を見つめていた、なにも返ってこない地面 雨を跳ね返し側溝に流すだけのつまらない地面だった。するとそのひとが自分の買った本をわたしにみせた。 「きょう大負けしたらおれはこれを読む」 と言った。 「これはたぶんとてもむずかしい本だろう。だから絶対に読みたくない」 たしかになんの本かすこしもわからなかった。私にわからないのならこのひとにもわからないだろう とそのときわたしは思った 思ったことがおもしろかった。そのひとのことを私は私とおなじもののように見ていた。ねむたそうなまま話すそのひとに隙を見て 私はつまらないけれどそのひとはおもしろかった おもしろかったけれどそのひとは私とおなじだ 私は 私は傘をもっていたから一緒にはいろうと言った。いや、言わなかった 言おうとして手に持った傘をみたときわかったのだ、ちいさすぎると だから考えがそこで止まってしまって、止まってしまっているあいだにそのひとは雨のなかを走って行ってしまった 馬の走るのを見に、新聞を頭にやりながら 濡れていく新聞はたちまち黒くなる なっていくのを見たわけではないけれどわかる 石とおなじだ 足下の 薄い灰色から濡れることで黒色になる 私から滴って水が いつかかわくまで かわいたところで雨がやまないのでは と 言わなかったのだそういえば わたしもそのひとも ちがったかもしれない。でもほかに思いだせなかった。その言葉はいまあるだけなのかもしれない。たぶんその話をしたかっただけなのだ。たぶんその話をしたかっただけなのでしょう。その続きもなく、遡るものもなく なにせ精度をもてない私のことだ 私です。ここにいるのは。この建物に 屋根と柱は木でできていますから、いつか腐るでしょう。そこにただひとり。腐るところを私が見ることはないけれど、見える。見つめている。さきのさきをいま、見つめています私は。そこから私に話しかけるものがあります。濡れた鳩 すずめがいまもまだ濡れ続けているなか腐っていく屋根のしたでかわいていく私に、なにか 草のにおいがする 雨の日は木と草のにおいがつよい 桜が雨にあたって落ちる 落ちた もう全部落ちて 落ちてもよいと言われ、言われてもなおつよくこだわりしかししかたなく花びらは落ちて 落ちてもよいと私も思う。鉄を網状に組んだかご ごみ箱だ 屋根の下にある、そこにも何枚か花びらがはいっていた そこへ拾ったたばこを捨てて私はもうすることをなくし、なくしたのでもうその先はない 雨がいつまで経ってもあがらなかったのでまた濡れながら 家に帰った、帰りました、 それだけです ありがとうございました。